■ NO.120 ででんさん作 「追跡者 ― a pursuer ―」  ■


僕は、仮面をつけている。

『成績は悪いが明るくて人当たりの良い好青年』
それが、僕に対する世間一般の評価だった。
自分から進んで輪に入っていくことはないが、話し掛けられればちゃんと受け
答えもする。冗談を言って人を笑わせるし、休みの日に友人達と遊びに行くこ
ともあれば、昨夜のテレビ番組の話題で盛り上がったりもする。
明るい好青年。それが表向きの僕の顔だった。
だが、それは僕の本質とは大きく異なっている。
僕の本質は、それらとは対極の位置にある。
本来の僕が持っている趣味嗜好は、世間一般で言う『悪趣味』と呼ばれる類の
ものだった。

――GOTH。

それはGOTHICの略であり、ある特殊なファッションやスタイルを示す言
葉だ。一般的には、中世的な様式美を持った、暗く、怪奇的な印象を抱えたフ
ァッションのことを指す。
そして同時に、人間の暗部――拷問の方法や処刑のための道具、あるいは殺人
者の心理に対して言い知れぬ興味を持つ者たちのことも、GOTHと呼ぶ。
それは、人間の持つ暗黒面に心惹かれ胸踊らせる者たちの総称。

僕は、GOTHだった。

僕はこのことを誰にも悟られないように、幼い頃からずっと偽りの自分を演じ
つづけてきた。目に見えない仮面を自分の顔に貼り付けてきた。
自分の正体が世間とは相容れない存在であるということを、僕は自覚していた。
だから僕は、ずっと偽りの笑顔で相手に接してきた。
そして、今まで誰も――親兄弟でさえも、僕の笑顔の奥底に隠れている暗闇に
気付いた者はいなかった。
あの日、クラスメイトの彼女に声をかけられるまでは。


「私にも、その表情の作り方を教えてくれる?」


彼女の名前は森野夜(もりの・よる)。


彼女もまた、GOTHだった。




<< GOTH >>

追跡者 ―― a pursuer ――



「お前って森野と付き合ってるのか?」
昼休みも残り僅かとなった頃、クラスメイトの加藤が何の前触れも無くそう尋
ねてきた。僕は自分の仮面に驚きの表情を浮かばせながら、心の中で「やれや
れ」とため息をつく。
同級生の森野は目立たないくせに知名度が高いという、相反する評判の持ち主
だった。
無口で、無表情で、自ら周囲とのコミュニケーションを断絶している彼女は、
誰とも口を利くことなく日常を過ごすことを好んでいた。
それだけならばただの「変わり者」であり、もっと立ち振る舞いが上手ければ
「影の薄い女の子」で済んだことだろう。だが、彼女は他人の視線を惹きつけ
る類稀な容貌を備え持っていた。
夜のように黒くて綺麗な長い髪、陶器のように澄んだ白い肌、整った顔立ちに
左目の下のホクロがどこか呪術的な雰囲気を漂わせている――ようするに、彼
女は世間で言うところの「美人」に属していた。
本人は目立たないように振る舞っていても、その風貌と冷淡な雰囲気は自然と
周囲の注目を集めてしまう。それが「目立たないようにしているのに誰もが彼
女のことを知っている」という不思議な状況を生んでいた。
そんな彼女に、最近ちょっとした変化が生まれていた。
今までは自分から他人に声をかけたることなど絶対にしなかった彼女が、ある
特定の男子にだけ話し掛けるようになったのだ。
その特定の男子とは――つまり僕のことだ。
「なあなあ、誰にも言わないから俺だけに教ろよ。お前と森野って付き合って
るのか?」
返答に詰まっていた僕に対し、加藤がにじり寄るようにして体を寄せてくる。
僕は2人の関係が加藤の思っているようなものではないことを、できるだけ簡
潔に説明してやった。説明をしながら、自分の席に座っている森野の姿を横目
で見たが、僕たちの話し声がまったく聞こえていないのか、彼女は本に夢中で
僕の方には見向きもしなかった。
「本当にお前ら付き合ってないのか?」
説明したにも関わらず、加藤はまだ疑いの眼で僕を見ている。
彼は柔道部に所属するスポーツマンで、がっしりとした体躯に曲がったことが
大嫌いという侠気の持ち主だった。
休み時間に皆がグラウンドで遊ぶと決めたとき、いつも輪の外にいた僕を誘っ
てくれるのが彼だった。きっと僕が一人でいるのを見て、仲間はずれにならな
いよう気を使ってくれているのだろう。彼はそういう、良く言えば「気配りの
できる」、悪く言えば「おせっかい焼き」な男だった。
こういうとき、僕は「一人でいる方が気楽なのに」と思いながら、表面上は嬉
しそうに皆と遊ぶことにしている。そうやって人間関係に無用な波風をたてな
いようにすることが、長い間の経験から培ってきた僕の生きる知恵だった。
「僕と森野が話をしているところを見たことあるだろう。それを見て恋人同士
だと思ったかい?」
僕の反論を受けて、加藤は自分の大きな手で、触り心地の良さそうな五分刈り
の頭をポリポリと掻く。
「そりゃ、確かに見えないが」
加藤は僕と森野が話をしている光景を思い出していた。
僕と森野は、お互いにぶすっとした表情のまま話をする。自分に正直な彼女は
決して他人に愛想笑いをすることはない。僕もまた彼女の前でだけは仮面を通
さない本当の自分の姿で話をすることができた。
その結果、傍目からはお互い無愛想な表情で、まるで仲が悪い者同士が話をし
ているように見えるらしい。
僕と彼女の関係を第三者に理解してもらうのは難しい話だろう。僕も2人の関
係を説明をしろと言われて納得できる答えを返せる自信はない。
「まあ、ようするに、2人は付き合ってはいないってことだな」
ようやく納得したのか、加藤はしきりに何度も頷いていた。
考えてみれば、今までは周囲が勝手に僕と森野の関係を邪推していたが、こう
して直接僕に話を聞いてきたのは加藤が初めてのことだった。
そういう意味では、確かに彼は男らしいと言えるかもしれない。質問の内容が
男らしいかどうかは別にして。



放課後。僕は森野と一緒に学校を出た。
断っておくが、別にいつも森野と一緒に下校しているわけではない。
逆に、よほどの用事が無い限り彼女と一緒に教室を出ることはないと言っても
差し支えないだろう。
彼女は無駄なことは一切しない性分で、それ故に他人に無駄を押し付けるよう
なこともしない。だから無駄口も叩かないし、用もないのに僕と一緒に帰ろう
とすることもない。
その辺りの徹底ぶりは尊敬に値するものがある。
それに、彼女はセクハラまがいのことをしてきた教師を護身用に持っていた催
涙スプレーで撃退してからというもの、校内ではちょっとした有名人になって
いた。
あの事件以来、彼女は自身の持つ独特の雰囲気と相まって、周囲から好奇の目
で見られることが多くなっている。
そんな彼女と並んで下校するというのは、常日頃から目立たないように生きて
いる僕にとって是非とも避けておきたい事柄であった。
では、なぜ今日は一緒に下校しているのか。
それは、帰り際に彼女から声をかけられたからだ。
「……一緒に帰りましょう」
「どうして」と僕が聞くと、彼女は簡潔に答えた。
「私は狙われている」
森野は冗談を言う人間ではない。
ときどき冗談を言っているように思えることもあるが、彼女は常に本気だ。
僕は無言で頷くと、彼女と一緒に教室を出た。

「……誰かに尾行されているの」
森野はいつも真正面を向きながら話をする。話をするからと言って、相手の目
を見るような殊勝な心がけは彼女には存在しない。
僕はちらりと背後を振り返って、それから森野の整った横顔を見た。
「気のせいじゃないのかい」
「……失礼ね」
感情をまったく含まない淡々とした口調で、森野は僕に抗議する。
「私が自意識過剰だとでも言うの」
「そうは言ってない」
けれど。僕はもう一度背後を振り返った。やはり、人の気配はない。
「少なくとも今日のところは大丈夫みたいだ」
「……そのようね」
真正面に視線を固定したまま、森野が返答する。
森野の横顔を見つめながら、僕は心の奥底で何かがうずき始めるのを感じてい
た。
僕は犯罪者の心理について考えると異様なほど胸が高鳴る。その犯罪が重大で
あればあるほど、胸の高鳴りは激しくなる。殺す者の心に触れることである種
の恍惚さえ感じる。それが僕のGOTH。
おそらく僕は、このときすでに事件の予感を感じ取っていたのだろう。森野と
並んで歩きながら、僕は自分の鼓動がいつもよりも幾分早くなっていることを
自覚していた。
だが、一つだけ残念なことがある。僕がこうして森野とともにいる限り、自分
は決して第三者の立場にはなれないということだ。
何者かに狙われている森野としては、僕をボディーガードにするつもりで一緒
に帰るよう誘ったのだろう。少なくとも僕のGOTHに気を使って、自分が襲
われる現場を見せてあげようという親切心からではあるまい。
僕は常に中立(ニュートラル)の立場で事件に関わりたいと思っている。事件
の当事者になってしまうと、どうしても純粋に犯人の側に立って考えられなく
なってしまうからだ。
常に第三者の立場で。それが僕のスタンスだった。
「とにかく、詳しい話を教えてくれないか」
僕が声をかけると、森野は立ち止まり、すぐ側にある公園へと視線を向けた。
そこは僕と森野がよく待ち合わせで使っている公園だった。あそこでゆっくり
話をしようということだろう。
僕は彼女の意思を汲み取って、公園に向かって彼女の前を歩き始めた。
背中で森野がついてくる気配を感じながら、僕は夢想する。
もしも何かの事件に巻き込まれて僕の目の前で森野が酷い目にあいそうになっ
たとしたら、果たして僕はどうするだろうか。
森野を助けようと行動するのだろうか。それとも、ただじっと何もせずにその
様子を好奇の視線をもって眺めているのだろうか。
事件には第三者の立場で関わりたいという願う自分。
長い人生のうち目の前で事件が起こる現場に立ち会えることが何度あるのかと
打算する自分。
目の前で森野が襲われる姿を見てみたいと思う自分。
きっと僕がどう行動するかは、そのときになってみなければわからないことだ
ろう。
ただ……
僕は無言で背後を振り返った。
僕の後ろを歩いていた森野の肩越しに、人影が見えた。
影は、次の瞬間には道路脇へと消えていた。
……事件が起こるのは、そう遠くない未来なのかもしれない。

僕の胸が、高鳴る。



「ねえ、森野さんってどんな娘なの?」
夕食を食べていると唐突に母が尋ねてきた。僕は自分がつけている見えない仮
面のことも忘れて、素で驚きの表情を浮かべる。
「なんで母さんが森野のことを……」
そこまで言って僕は思い出した。前に僕が森野と一緒に「絞殺用の紐」を買い
に大型雑貨店へ行ったとき、たまたま妹の桜と鉢合わせしたことがあったのだ。
「桜、お前……」
はすむかいの席でご飯を頬張っていた桜が、僕の視線を受けて「あはは」と苦
笑いを浮かべる。
「いいじゃないの。それで、どんな娘なの? どうやって知り合ったの?」
瞳を爛々と輝かせながら、母が僕を追及する。その緩みきった笑顔から僕はす
ぐに母が森野と僕の関係を誤解していることを悟った。
僕は懇切丁寧に、森野とは母が思っているような関係ではないことを説明する。
「うんうん、わかったから。それで2人はどうやって知り合ったの?」
絶対にわかってないと思う。
僕が適当にしらばっくれていると、ラチが開かないと悟ったのか、母は唯一の
目撃者である桜へとその矛先を向けはじめた。
「それで、その森野さんってどんな娘だったの?」
「え? ええと……」
母の追及を受けて、桜は困ったような表情で僕の顔を見る。僕は無言のまま
「余計なことは言うな」と視線で訴えかけていた。しかし、僕とは違い人の良
すぎる妹が、母の執拗な追及からいつまでも逃れ続けることなど度台無理な相
談だった。
「あの、すごい美人だったよ。それにすごく恥ずかしがり屋みたいで、ずっと
兄さんの影に隠れてたっけ」
「森野は人見知りするんだ」
とりあえず森野のためにフォローを入れておく。たぶん彼女はそんなことは気
にしないと思うが、これはもはや長い間仮面をつけてきた条件反射のようなも
のだ。
実際は、あのとき桜がドッグフードの袋を持っていたために森野はそれを正視
することができなくて僕の影に隠れていた、というのが真相だった。ドッグフ
ードの袋にに貼り付けられている写真でさえ見ることができないくらい、彼女
は犬が大の苦手だった。
「まあまあ、お父さんの息子なんだからモテないはずは無いと思ってたけど」
ひとしきり桜から事情聴取を終えると、母はいきなりノロケはじめた。
「でもこれでお母さんも安心だわ。あ、そうだ、今度森野さんを家に連れてら
っしゃいな。そうしてみんなでご飯食べましょう。うん、いい考えだわ」
そしていきなり浮かれはじめる母。こんな感情豊かな人から、どうして自分の
ような冷血漢が生まれたのか不思議でならない。
「たぶん、誘っても森野は来ないと思うよ」
「あら、どうして?」
母の問い掛けに、しかし僕は答えず、ただ黙って窓の外を眺める。
窓の外では、森野にとっての「恐怖の塊」が黙々とドッグフードを食べていた。



森野は無駄な話をしない。
それが森野の性格であったし、僕もまた彼女に対して必要以上のことを尋ねる
ことはしなかった。
だが、さすがに毎日一緒に下校するようになると、まったく意味の無い会話も
稀にだが交わすことがある。
「よろしく」
唐突に彼女が言った。もちろん視線は真正面を向いたままだ。
何が「よろしく」なのかわからず僕が戸惑っていると、森野は今の発言につい
て説明をしてくれた。
「……母があなたに『よろしくって言っておいて』と」
僕は森野の母親と一度だけ面識があった。あれは森野が連続殺人犯に拉致され
たときのこと。僕は森野の居所を掴もうと彼女の家まで足を伸ばしたのだ。
森野の母親は娘の無断外泊を気にはしていたものの、まさか娘が殺人犯に拉致
されているとは夢にも思っておらず、突然の来訪者である僕のことをずいぶん
と歓迎してくれた。
そういえば、あのときも森野の母親は僕のことを娘の恋人だと信じて疑わなか
った。親とはそういう生き物なのだろうか。
「『よろしくって言っておいて』って言われて、『よろしく』って言ったの?」
「そう。……何か問題でも?」
「いや、問題は無い」
鈍いのか天然なのか、ときどき森野はこういう一見理解不能なことをする。
もちろん彼女は本気なのだから、笑ったりしたらとても怒る。だから僕は極力
笑わないようにしている。
「そういえば、母さんと桜が……桜のことは覚えてる?」
「妹さんでしょ。確か前に一度だけ会った事があるわね」
僅かに視線を上にあげて、森野は何かを思い浮かべるときのような微妙に焦点
の合わない表情を見せた。だが、次の瞬間にはその綺麗な眉間に皺が寄る。
どうやら妹と一緒に、彼女が持っていたドッグフードの袋のことも思い出して
しまったらしい。
「その母さんと桜が『一度森野さんを家に呼びなさい』って言っていたよ」
「……どうして私があなたの家に行かなくちゃいけないの」
素で、森野は聞き返してきた。彼女に「社交辞令」という言葉は通用しない。
「僕に女の子の友達ができたことがよっぽど嬉しいらしいよ。だから是非一度、
一緒に食事がしたいって」
「……そういえば、私の母も同じようなことを言ってたわ」
僕に女友達が出来たことを喜ぶ親がいるのなら、森野に男友達が出来たことを
喜ぶ親もいるだろう。特に森野の場合は、登校拒否や自殺未遂という前歴があ
るだけに親も心配に違いない。
「早く孫の顔が見たいとか何とか」
「それはまた大胆な発言だね」
赤信号で立ち止まりながら、さすがの僕も思わず苦笑を浮かべてしまう。
「……あまりイヤそうじゃないのね」
僕の冷静な反応が面白くないのか、それとも彼女なりに意地悪をしようとして
いるのか。森野は珍しく会話のキャッチボールを僕に投げかけてきた。
僕はそんな森野からのボールを受け取っておきながら、しかし結局投げ返すこ
とはしなかった。何と言って答えるべきか、咄嗟に思いつかなかったというの
が正直なところだ。
信号が変わるのを待ちながら、ふと、いつも真正面ばかり見ている森野が、じ
っと僕の顔を見つめていることに気がついた。
考えてみれば、あまり森野の顔を真正面から見たことはない。
僕は新鮮な気持ちで森野の顔を見つめ返した。
どのくらいそうやって見詰め合っていただろうか。森野は僕の顔をまっすぐに
見上げながら、おもむろに口を開いた。
「……そうね。そのうち行ってもいいかもしれない」
どういう心境の変化があったのか、彼女は僕の家に行こうかと言っている。
そう理解して、僕は彼女に重大な事実を伝えていないことに気がついた。
「今度、うちで犬を飼うことになったんだ」
「ごめんなさい、母が病気で死にそうなの。だから当分あなたの家に行くこと
はできないわ」
こういうときの彼女の反応は速い。
やがて信号が青になり、僕らは再び歩き始めた。
気がつくと、もう、彼女は僕の顔を見てはいなかった。
いつものように無表情で真正面を見据えながら、彼女は横断歩道を歩いていた。

「森野が社会に出ると思うと不安だよ」
一連の森野との会話を思い出しながら、僕は率直な感想を述べる。
「……失礼ね。ちゃんと仕事ぐらいできるわ」
手に職があるかどうかではなく、他人と円滑なコミュニケーションが取れるか
どうかが心配なのだが、本人はどうやらその点は心配していないらしい。
おそらく、最初から他人のことなどまったく気にしていないのだろう。気にし
ていないのだから、心配する必要もない。
「……でも、そうね。気に入った制服があるかどうかは問題だわ」
また見当違いなところを問題視している。
ちなみに以前彼女に今の高校を選んだ動機を聞いたとき「制服が黒かったから」
と真面目な顔をして答えられたことがある。実際、彼女は黒い服が良く似合っ
ていたし、黒くて綺麗な長い髪も、そろえて買ったという黒い靴も彼女にはと
ても良く似合っていた。
彼女の名前でもある「夜」という言葉は、まさしく彼女に相応しいという気が
しているのも事実だ。黒一面の彼女の中で、白磁のように白い肌だけが、まる
で闇の中に浮かぶ月のように輝いて見えた。
「そうだな。そのときは結婚でもしようか」
誰かと結婚してしまえば無理に外に出なくても済むようになるし、会社へ行く
よりは他人とのコミュニケーションも軽減するだろう。その程度の思いで、僕
は今の一言を口にしていた。
ふと見ると、森野がいつもよりわずかに眼を大きく見開いて、じっと僕の顔を
見つめていた。これは感情表現の乏しい彼女にとって『驚愕』に値する表情の
変化である。
「……本気?」
いつもは冷淡な森野の口調も、このときばかりはどこなく熱を帯びているよう
に感じられた。僕は状況が理解できず、ただ、無言で頷く。
「……考えておくわ」
何を考えておくのかはしらないが、それだけ言うと森野はうつむいて黙りこん
でしまった。
結局、その日はそれ以上一言も会話のないまま彼女と別れることとなった。
僕には疑問が残ったが、森野が不思議少女なのはいつものことなので、あえて
それ以上追求するようなことはしなかった。



翌日。学校の教室で、僕はクラスメイトの加藤に相談事を持ちかけられた。
「隣のクラスの井上って知ってるか?」
僕が知らないと答えると、彼は声のトーンを落として僕に囁きかけてきた。
「実は井上がな、森野のことが好きで告白したいらしいんだ」
森野が実は男子生徒に人気があるらしいことは知っていた。彼女がセクハラ教
師を撃退する以前は、何人か彼女に言い寄ってくる男子もいたらしい。
事件後はすっかり恐れをなして、彼女を狙う輩もいなくなったと思っていたの
だが、どうやらまだ男気の残っている者がいたということだろう。
「そこでだ、お前って森野と親しいだろ。どうにかして今日の昼休みに彼女を
屋上へ呼び出せないか?」
昼休みに屋上で。それが告白のタイミングらしい。僕は自分でも気付かないう
ちに困惑の表情を浮かべていた。
森野を屋上へ連れ出すことは、難しいが不可能ではない。
だが、僕に騙されて屋上まで足を運んだあげく、そこで見知らぬ相手からの告
白を受けたりしたら、彼女が不機嫌になることは間違いない。
いつもなら彼女が不機嫌になろうとそれほど気には止めないが、今日も一緒に
下校することを考えると……自分の隣でトゲトゲしいオーラを放っている森野
と並んで歩きつづけるというのは、出来ることなら避けたい事柄だった。
僕が返答に窮していると、傍らでそれを見ていた加藤が邪悪な笑みを浮かべな
がら僕に小声で語りかけてきた。
「お前と森野は付き合ってるわけじゃないんだろ。なら別に問題ないじゃない
か」
ひょっとして加藤は僕と森野の関係を疑って、こんな罠を仕組んでいるのでは
ないだろうか。そう疑いたくもなる加藤の邪悪な笑顔だった。
どうやら僕には他に選択肢はないようだ。ここで話を断ったら「やっぱりあい
つと森野は付き合っている」という結論を導き出されかねない。
「屋上に連れ出せなくても恨まないでくれよ」
どちらにしろ、とことん合理主義者の森野なら、用もないのに屋上まで行くこ
とにはまず同意しないだろう。
頭の中で打算を働かせながら、僕は森野に話し掛けるべく席を立った。

「昼休みに屋上へ来てくれないか」
僕と森野の間に挨拶は存在しない。
一心不乱に猟奇犯罪の実録小説を読んでいる森野のそばに立つと、僕は何の前
置きも無くいきなり本題を告げた。
だが、僕の声が聞こえていないのか、森野は小説に視線を落としたまま微動だ
にしない。
僕は彼女が僕の声を聞き逃したのだと思い、もう一度同じ言葉を繰り返そうと
口を開きかけた。だが、僕が何かを言うよりも先に、彼女は小説に視線を落と
したまま唇を動かす。
「……それは、昨日の返事が聞きたいということね」
昨日の返事とはいったい何のことだろう。僕は昨日森野と交わした会話を思い
出しながら、しかし心当たりがまったくないことに戸惑い、口ごもってしまう。
「……わかったわ。昼休みに、屋上ね」
僕が何と答えたら良いのかわからず困っていると、思いのほかすんなりと、森
野は屋上へ行くことに同意してくれた。それはあまりにあっさりとしすぎてい
て、逆に誘った僕の方が呆気にとられてしまうほどだった。
この展開に虚をつかれたせいか、僕はこのときの森野が彼女にしては珍しく強
い意志を――決意を込めた喋り方をしていたことに気がつかなかった。
僕は胸の奥に説明し難い疑念を感じながら、森野のそばを後にした。
僕が自分の席に戻ると、すぐさま加藤が大きな体を揺らしながら駆け寄ってく
る。
「どうだった?」
緊張した面持ちで尋ねる加藤に対して、僕は森野が快く承知してくれたことを
簡潔に告げた。
僕の答えを聞いて、加藤は少なからず驚いた表情を浮かべていた。
「お前達って、本当に付き合ってなかったんだな」
やはり疑っていたらしい。
ともかく、これで森野は昼休みに井上某という男子生徒から愛の告白を受ける
ことが確定した。あとは、昼休みが終わった後の森野の不機嫌さが軽いもので
済むことを祈るばかりである。



今日も僕は森野と一緒に下校している。
昼の出来事で、僕は森野が不機嫌になるだろうと思っていた。だが、現実はそ
うならなかった。
森野は、落ち込んでいた。
「何かあったのかい?」
いつもなら森野が自分から話をしてくれるのを待つのだが、今日ばかりは気に
なって仕方が無いので僕の方から声をかけた。どんよりとした雰囲気を周囲に
漂わせながら、森野はうつむいたまま覇気のない声で答える。
「何でもないわ。自分の馬鹿さ加減に呆れていただけ」
詳しいことは教えてくれなかったが、どうやら森野は自分が何か大きな勘違い
をしていたことに気がついたらしい。それにしてもあの森野をここまで落胆さ
せる勘違いとはいったいどんなものなのだろう。とても気になる。
普段から口数の少ない森野だが、この状態ではさらに話をする気も起きないら
しく、結果として僕たちはずっと無言のまま並んで歩き続けてることになった。
もっとも、会話がないことは僕たちにとって珍しいことではないし、お互い会
話のないことを気にするような性分でもないのだけれど。
彼女と一緒に無言で歩きながら、僕は違うことを考え始めていた。
森野が誰かに尾行されていると感じ始めたのは先週の終わりのことだった。
最初は気のせいかと思ったらしいが、翌日も同じ道を通っていたときに何者か
の気配が自分の後をついてくるのを感じたのだという。
そういった経緯もあって、今週からは僕と一緒に下校するようになったのだが。
「……今日もいるわね」
気を取り直したのか、それとも開き直ったのか。先ほどまでの落ち込みはどこ
へやら、すっかりいつもの調子を取り戻した森野が真正面を向きながら僕に語
りかけてくる。
森野の言葉に、僕は真剣な面持ちで頷く。
ここ数日、僕たちは下校中に何者かの視線を感じるようになっていた。
最初は気のせいかとも思っていたが、日がたつにつれそれは疑惑から確信へと
変わっていった。最初は半信半疑だった森野の「私は狙われている」という言
葉も、今では一切の疑いを抱くことなく聴くことができる。
犯人は森野を狙って何をしようとしているのだろうか。歩くスピードを一定に
保ちながら、僕は考えた。
森野は普通の人にはない珍しい特技を持っている。一言で言うと「犯罪者に狙
われやすい」という特異体質だ。
それはまるで蟻や蜂が出すフェロモンに雄たちが群がるように、森野の放つ
「異常者のフェロモン」とでも呼ぶべき謎の物質によって、猟奇犯罪者たちが
次々に集まってくるのである。
そういう特異体質が彼女にはあるため、今回も何か異常な犯罪に森野が巻き込
まれているのではないか――と最初のうちは疑っていた。
だが、すぐにそれは大いなる勘違いであることを僕は悟る。
犯人は単純に「ストーカー」だ。森野の持つミステリアス(便利な言葉だ)な
雰囲気に魅せられたその人物は、彼女がどういう人物なのかもっと良く知ろう
と思い、つい後を尾けるようなことをしてしまったのだ。
そう。このとき僕には、森野を尾行している人物が誰なのかほぼ見当がついて
いた。
あとは反論ができないように現場を抑えるだけだ。
「森野」
曲がり角を右折したところで、僕は顎で道路脇にある路地裏へつづく暗い道を
指し示す。僕の意図に気付いたのか、森野が無言で頷く。
それまで一定のスピードを保って歩いていた僕たちは、駆け出すようにしてそ
の路地裏へと飛び込んだ。そのまま細く暗い通路の中で、僕たち2人は息を殺
し、身を潜める。
「えっ!」
犯人の驚く声が聞こえる。
それはそうだろう。一定のスピードを保って歩いていた僕たちが、いきなり駆
け出して路地裏に隠れるとは、犯人も予想していなかったに違いない。
これを曲がり角を右折した直後に実行したため、後を追って曲がり角を曲がっ
てきた犯人にとっては、僕たちが突然消えたように感じていることだろう。
僕達は息を潜めて犯人が目の前の道路を通り過ぎるのを待った。
やがて、よほど慌てているのか気配を消すことも忘れて、バタバタと大きな足
音をたてながら犯人が僕たちの眼前を横切る。
すぐさま僕は道路を飛び出し、目の前を通り過ぎて行った犯人の背中に向かっ
て大声でその名を呼びかけた。
「桜!」
いきなり背後から名前を呼ばれた犯人は、文字通り飛び上がらんばかりに驚い
た後、おそるおそる僕たちの方へと振り返った。
驚きと恐怖と動揺の入り混じった表情を見せているその人物は、紛れも無く僕
の妹、「桜」であった。

「ごめんなさい……」
公園のベンチに腰掛けたまま、消え入りそうな声で桜が呟く。
僕と森野は桜を連れて、学校近くの公園へと場所を移していた。桜がベンチに
腰掛けて、目の前に立つ僕たち2人に見下ろされているような状況である。
なんとなく相手を威圧しているような光景だが、桜以外の2人はそんな雰囲気
にまるで無頓着だった。
「たまたま森野さんを町で見かけて、そしたら森野さんの帰る方向と私の塾の
方向が一緒で……」
どうやら桜も最初はちゃんと声をかけるつもりだったらしい。
だが、森野の持つ余人を寄せ付けない独特の雰囲気が、桜に声をかけることを
躊躇わせてしまった。
声をかけるタイミングというのは、一度逃すとなかなか取り戻し難いものらし
く、桜は「声をかけよう、声をかけよう」と思いながら森野の後をついて歩い
ているうちに、とうとう彼女の家まで尾行する結果となってしまったのだった。
「お前バカだろ」
落ち込んでいる妹に対して容赦のないツッコミを入れる僕。つくづく思うが、
僕の仮面はとても社交的だ。
そんな僕のツッコミに、桜は「ヒドイ」とでも言いたげな表情で瞳に涙を潤ま
せながら、目の前の2人の顔を見上げる。
「……でも、よく妹さんが犯人だってわかったわね」
森野がまるで話題を変えるかのように僕に質問する。それは桜の様子を哀れだ
と思ったからか、それとも純然たる好奇心からだろうか。
……たぶん後者だろう。森野はそんな風に気を使う人間ではない。
「僕が森野という名前の女の子と一緒に買い物をしていたことを、桜が母さん
に話したんだ」
僕は妹のことを怪しいと思ったきっかけについて語り始めた。
「おかしいだろ。僕はあのとき桜に、一緒にいる女の子の名前について一言も
言わなかった。桜が森野の名前を知っているはずがないんだ」
なぜ桜が森野の名前を知っていたのか。そのことを考えたとき、僕はむかしど
こかで聞いた私立探偵のテストの話を思い出していた。
私立探偵になるための試験として『街で見かけた見知らぬ他人を尾行して、そ
の人の住所・氏名・電話番号を突き止める』というものがあるらしい。
例えば、尾行対象の家まで後を尾け、そこで表札を見て名前を突き止める……
ひょっとすると桜は、その試験とまったく同じことを実践したのではないか。
僕はそう考え、どうやらその予想は見事に的中していたようだった。
「で、でも、それだったらどこかで偶然森野さんに会って、そこで名前を聞い
たのかもしれないでしょ」
自分が疑われたことがショックだったのか、桜が大声で反論する。実際、声こ
そかけなかったが桜と森野は偶然出会っているのだ。その可能性も決してゼロ
ではないだろう。
「僕も、最初は桜と森野がどこかで偶然出会い、そのときに森野の名前を聞い
たのかと思った」
でも、その可能性はすぐに否定された。
下校途中で森野に桜のことを話したとき、彼女ははっきりとこう言ったのだ。
『……妹さんでしょ。確か前に一度だけ会った事があるわね』
僕はベンチに座っている桜の顔を見下ろす。
「桜が森野と偶然出会って話をしたのなら、森野は『一度だけ会った』とは言
わないはずだ」
無表情に言い放つ僕の顔を、さくらは唖然とした眼差しで見つめていた。
今、桜の目に僕はどう映っているのだろう。こうなったときの僕は、普段つけ
ている社交的な仮面のことを忘れ、能面のような無表情さで相手に対してしま
う。その瞳は灰色に濁っており、光を感じさせない。深い闇のような、暗く冷
たい瞳になるのだ。
「に、兄さん……」
普段とは違う僕の雰囲気に気付いたのだろう。桜の唇から震えた声が漏れ出る。
こんな兄の表情を見て、桜はいったいどう思っているのだろうか。ひょっとす
ると、見知らぬ兄の顔に恐怖を感じているのかもしれない。
それがわかっているのに、僕は今の表情を止めることができなかった。
そして、桜は、
「すごーい! まるで名探偵コ○ンみたーい!!」
楽しそうに瞳を輝かせていた。
「兄さんがこんなに頭いいなんて知らなかった! なんかかっこいいよ!」
何やら感動さえしている。
どうやら桜は僕の推理に感心するあまり、僕の顔が見せている微妙な表情の変
化になどまったく気がついていないらしい。
僕はこのときほど、素直でお人よしすぎる妹を持って幸せだと思ったことはな
かった。
「……いい妹さんね」
どうやら、森野も同意見らしい。

「とにかく、これに懲りたらもう二度と森野の後を尾けるようなマネをするん
じゃないぞ」
偽りの仮面を被り、良き兄を演じながら、僕はお人良しな妹を優しく諭す。
もともと物分りの良い妹だけに、兄の言うことに何度も頷いて二度とストーカ
ーまがいのことはしないことを約束した。これで森野のストーカー騒ぎも一件
落着である。
「それにしても一度や二度ならともかく、今週なんて毎日僕たちの後を尾行し
て、お前もよくやるよ」
呆れたように僕がため息をつく。だが、それを聞いた桜は不思議そうな表情を
僕へと向けた。
「え? 私が森野さんの後を尾けていったのは先週末の2回だけだよ。今日は
たまたま2人を見かけただけで、今週はそんなこと一度もやってない」

事件はまだ、終わってはいなかった。



今日もまた、2人は仲睦まじく一緒に下校している。
これで月曜から金曜まで毎日一緒に下校していることになる。本当に2人は恋
人同士ではないのか。これでは疑うなと言う方が無理というものだ。
昨日は彼の妹らしき女の子が途中で現れたが、それ以外の日はいつでも2人き
りだった。
憎らしい。そう思いながら、しかし2人の間に入ることも、声をかけることす
らできずに、ただ後を尾けている。そんな自分がもどかしくてたまらなかった。
そして今日も、いつものように2人の後を尾行する。
2人はいつもと少しルートを変えて、学校のそばにある大きな公園へとやって
来ていた。とは言っても、2人は以前にもここへ立ち寄ったことがある。
以前はここのベンチに並んで座り、なにやらぶすっとした表情で話をしていた。
漠然と今回もベンチに座って話をするのだろうと思っていた、その目の前で!
いきなり彼が彼女の腕を掴み、強引に草むらの中へと連れ込んだ。
「きゃっ!」
草むらの中でよく見えないが、彼女が押し倒されたような気配がここまで伝わ
ってきた。何より、普段は絶対に大声などあげたりしない彼女が、悲鳴に近い
声をあげていた。
気がつくと、自分は矢も立てもたまらず物陰から飛び出していた。そのままの
勢いで、2人の消えた草むらの中へと飛び込む。
「やめろ! もうやめてくれ!」
大声で叫びながら草むらの中で両手を広げる。その目の前に、服装に一糸も乱
れた様子のない、彼と彼女が立っていた。
いつも教室で見せている明るい表情とは似ても似つかない、暗く冷たい能面の
ような無表情さで、彼は私の名を呼んだ。
「やっと出てきたな。待ってたよ、加藤」



思えば、なぜ加藤は僕と森野の関係を何度もしつこく聞いてきたのか。
考えてみればすぐにわかることだった。加藤は森野のことが好きだったのだ。
だから本当に僕と森野が付き合っているのかどうかを確かめたかった。隣のク
ラスの井上某を利用してまでも。
「最初は2人を尾行するつもりなんてなかったんだ」
僕たち2人に見下ろされるような体勢で、加藤は地面にあぐらをかき、その巨
体を小さく縮めるようにして、うつむいたまま話し始める。
「ただ、月曜日に2人が一緒に下校するのを見かけて、気になってつい……」
先週、桜に尾行された森野が「自分は狙われている」と思い込んだ。それがき
っかけで月曜からは僕と一緒に下校するようになったのだが……それが原因で
新たなストーカーを生み出していたとは、運命の神様はよほど皮肉が好きらし
い。
そして火曜も水曜も僕たちが一緒に下校するのを見かけて「ついつい」後をつ
けてしまったということだった。
「俺は自分が情けない。俺は自分のことをもっと男らしいやつだと思ってた」
どうやらストーカーまがいの行為をしていたことに、激しい自責の念を抱いて
いるらしい。こういう理性的な反応が僕はあまり好きではない。第一面白くな
い。胸が、高鳴らない。
僕は「後悔するくらいなら最初からするな」と言いたくなるのを喉元で押さえ
込み、「明るい好青年」という仮面をつけて心優しい友人の肩にそっと手を置
いた。
「ウジウジ悩んでるから悪いんだ。男なら当たって砕けて見せるくらいの気概
を持てよ」
それは暗に「今ここで森野に告白して玉砕してしまえ」と言っていた。
加藤のせいでこの一週間余計な悩みを持たされてしまったのだ。そのくらいの
仕返しをしてもバチはあたらないだろう。
それに森野が告白してきた相手をどうあしらうのか、少しだけ興味もあった。
「そうか。そうだな」
僕の言葉に発奮されたのか、加藤は先ほどまでのオドオドした態度から腹をく
くった男の逞しい顔つきへと変貌する。その瞳には、強い決意を秘めた者だけ
が持つ、力強い光が宿っていた。
彼は本気だった。
加藤は自分の肩に乗せられていた僕の手を両手で握り締めると、真剣な眼差し
で僕の顔をまっすぐに見つめる。
「お前が好きだ。俺と付き合ってくれ」
「待て」
冷静に僕は言った。こんなときでも冷静でいられる、自分が自分で恐ろしい。
このとき僕の頭の中に20通りほどの反論が思い浮かんだが、僕はその中から
最も簡潔で分かりやすい意見を選択した。
「僕は男だ」
「わかってる」
あっさりと肯定された。
どうやら加藤は僕と森野を間違えて告白したわけではないようだ。
それはつまり……どういうことだろうか。
「……そういうことだったの」
ことの一部始終を見ていた森野が、納得したように大きく頷く。
「前々から思っていたわ。どうして加藤くんはあなたにだけあんなに優しいの
かと」
確かに、僕が一人だけ仲間はずれになっていると、いつも加藤が輪に入るよう
誘ってくれた。あまり自分から話し掛けない僕に対して、いつも積極的に話し
かけてくれるのも彼だった。
だが、あれは彼の親切心ではなかったのか。彼がおせっかい焼きだからではな
いのか。彼の男らしさの表れではないのか。
「迷惑なのはわかってる。でも、俺は本気なんだ!」
目を見ればわかる。加藤は本気だ。
僕はいろいろなドラマやバラエティ番組を見て、いろんな場面でどういう言葉
を返すのが一番自然なのかを研究している。その研究の成果が今の仮面となっ
て現れているのだが……残念なことにこういった場合の対処法はどんなドラマ
でもやっていなかった。
途方に暮れた思いを抱きながら、僕は助けを乞う様に森野の姿を見る。
森野は唇の端をかすかに震わせていた。これは日頃から無表情な彼女にとって
大爆笑に等しい表情の変化だ。
「……それじゃ、後は若い2人に任せて、お邪魔虫は退散するわ」
わけのわからない捨て台詞を残してその場を立ち去ろうとする森野。ちょっと
待ってくれ! 僕と加藤を2人きりにしないでくれ!
「**〜!」
僕の名前を叫びながら、柔道部のホープである鍛え抜かれた巨躯が自慢の加藤
が、僕にのしかかってきた。
たぶん僕は、このとき悲鳴をあげていた。

そこから先のことは、よく覚えていない。



「昨日は散々な目にあった」
土曜。授業は午前中で終了し、僕たち2人はよく晴れた空のもとで、いつもの
ごとく並んで下校していた。
「……そう。それは大変だったわね」
全然大変じゃなさそうな言い方で、森野が相槌を打つ。
別に森野の反応を期待して言ったわけではない。ただ、それでも言わずにはい
られなかっただけだ。
僕が憮然としていると、いつもは真正面しか見ていない森野が珍しく横目でち
らりと僕の顔をのぞき見た。
「……同情してほしいの?」
「同情されるのもいやだな」
憮然としたまま、僕は答える。
「そう。じゃあ同情するのはやめておくわ」
どこまで本気なのかわからない森野である。
いや、たぶん全部本気なのだろう。

「……あ」
森野にしては珍しい、驚きを含んだ声でそう呟くと、彼女は道の真ん中でいき
なり足を止めた。すぐに僕も立ち止まり、彼女の姿を振り返る。
彼女は顔を伏せ、うつむき、何かを考えているようだった。
「……そうだわ」
まるで今初めてそのことに気付いたかのように、森野は淡々とした口調で言葉
を発する。
「もうあなたと一緒に帰る必要はないのよね」
「あ」
思わず僕も声をあげる。ついつい毎日の習慣で一緒に教室を出てしまったが、
ストーカー騒ぎは昨日ですべて片がついたため、本来ならもう2人一緒になっ
て下校する必要はなかったのだ。
森野はその場で立ち止まったまま、しばし考え込んでいた。僕は黙って、森野
の考えがまとまるのを待つ。森野の自己中心的な行動にはすっかり免疫のつい
ている僕である。彼女の判断が出るまで、僕はその場で待ち続けていた。
「……そうね」
彼女の中で何やら結論が出たらしい。その一言だけを呟くと、彼女はさっさと
歩き始めた。そのまま僕の横を何事もなかったかのように通り過ぎる。
僕の隣を通り過ぎてから5歩進んだところで、森野はピタリと足を止めた。
その場で首から上だけを横に向け、涼しげな瞳で僕を睨みつける。
なぜ立ち止まっているの?
彼女の瞳はそう訴えかけていた。どうやら彼女の中では僕と一緒に帰るという
結論に達していたらしい。
僕は無言のまま歩き始め、彼女の隣に並ぶ。
そうして、無言のまま僕たちは再び歩き始める。


太陽を真上に仰ぎながら、2人の若い男女は特にさしたる会話もないまま、黙
々と歩きつづける。
無言で、無表情で、お互いの顔を見つめるわけでもない。
真正面を見据えたまま、ただ淡々と歩き続ける。

それがまるで、2人にとって心地よい儀式であるかのように……






ででんさんより頂いた、GOTHのSSでした。
原作とは違って明るい雰囲気ですが、こういうものもまた良いですね。
違った雰囲気とは言っても、原作の空気を壊すことのない仕上がりで凄いです!
素晴らしい作品のご投稿、有難う御座いました!!

感想等はででんさんに直接お伝えすることをお薦めします。
ででんさんのサイト→ででんのでん






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